優等生の挫折 失敗するたびに、自分らしくなる
親や先生に期待されるがまま優等生をしてきたわたしが、就活で挫折したときのお話です。でも、優等生って、やめるといいことたくさんあります。
受験生、大学生、頑張ることに疲れた人、つい頑張りすぎちゃう人に読んでもらいたいです。
優等生の始まり
中学時代
小学校まではテスト勉強なんかしたことなくて適当に過ごしていたのに
中学校で中間テスト、期末テストなるものができて、競争が始まった頃
なんとなく先生に言われた通りに計画表に学習計画を立てて勉強していたら
学校で15番くらいになって、「勉強ができる子」となった。
そしたら良い点数をとるように頑張るのが当たり前になって
少しずつ成績も上がって、中3の時にはなぜかすごく期待されていて、県で1番の学校を目指すようになっていた。
高校時代
そして入った県内1位の高校。
自分はそんなに大したことなくて、80番目くらい。
それでも自分よりできる子もできない子もたくさんいて、どちらかというとできる方だった。だからそれをキープしたいとそれなりに勉強は頑張ったし、部活も頑張った。
大学受験
それでなんとなく「国公立じゃなきゃダメよ。」という親の言葉に疑問や不満を抱くこともなく、某国立大学教育学部を目指し、合格。
教育学部を目指したのは、中学生の時に、母親に「学校の先生になったら?」と言われたから。
大学時代
大学では成績の基準がよくわからなかったし、「競争」がなくなったから、部活動に打ち込んだ。
大学時代の気づき 優等生の挫折
初めて本当に困ったのは、卒業論文を書くことになった時。
「テーマは福祉に関わることであればなんでもよい。」
と言われた時、本当に困った。
これまでは、いくつかの限られた選択肢から選べば良かったし、そこから選べば間違いないって誰かが教えてくれていたから。
「自分で決めること」が初めてで、すごく不安な気持ちになったし、その気持ちをゼミの先輩に話して共感された記憶が今でも残っている。
なんどもゼミの先生に相談に行き、「間違っていないか」顔色を伺いながら、テーマを選んだ。
就職活動も同じ、どこを目指したら良いのか、何をしたら良いのか、全然分からなかった。
どうしたら正しいか、いつも親や先生が、導いてくれていた。
だから安心して、正しい、褒められる道を進んできた。
だから自分の頭で考えることができない人間になっていた。
大学四年生でそのことにやっと気づき、出遅れた私は、就職活動の方向性も決まらず、とりあえず東京都の教員採用試験を受けることにした。
そして、二次試験で英語力が足りず、不合格。
かろうじて「期限付任用」に選ばれた。
簡単にいうと補欠合格。
強がりや言い訳に聞こえるかもしれないけど、落ちてほっとした。
だって、本当に先生になりたいのか、分かっていなかったから。
それに、二次試験の口述試験で英語がボロボロだったときも、教育実習で教壇に立った時も、「こんなんじゃ先生になれない。」って気づいていたから。
このとき初めて、本気になって、人とは違うけど自分の本当にやりたいことを考えるようになった。
その後就職せず留学することになるのですが、そのお話は次の記事へ。
優等生をやめるとうまくいくこと
意識的にしていること
これまで、知らず知らず、親、先生、周囲の顔を伺いながら自分がやるべきこと、進む道を選んできた。
あらかじめ正解が用意された問題を解くのは得意だったけど、正解がない人生を歩むのはすっごく苦手だった。
この性格はなかなか治らず今もやりがちな時があるけど、今は、時々立ち止まって、こんな風に考えるようになった。
・優等生にみせようとしない
・完璧主義をやめる
・無駄なプライドは捨てる
見栄を張らなくなる
自分の行動や決断が、単なる見栄の為じゃないかなって思い直すようになった。
素直になり人にアドバイスがもらえる
仕事でも、「きっちりやりきってミスのないように提出して、わたしは出来るって思わせなきゃ。」って張り切りすぎてしまう時も、その完璧主義を捨てて、「まずは6割の力で提出して指摘や修正してもらえばいいや。」って考えられるようになった。
そのほうが無駄な修正に時間を費やさないし、共有が早い方が軌道修正も早くなるというもの。
気持ちが楽になりストレスが減る
結果的に、周りの人がサポートしてくれたり、それでも適当な仕事をしていると思われることはなかったし、最終的に力を合わせて100%出せれば大丈夫、と考えるようになって、無駄に一人で抱え込むストレスも減った。
昔だったら、「出来ないと思われるのが嫌。」で、自分が納得できるレベルまで完成するまで人に見せられず、1つ1つのことに時間をかけまくっていた。
失敗を恐れず新しいことに挑戦できる
少しでもよくみられたいという見栄がなくなると、すごく気持ちが楽になって、「失敗してもいいや。」と思えるようになった。
最近でいうと、通訳案内士の国家試験も、「ダメ元で受けてみよう。」と思えるようになった。
「一発合格してみせる。」なんて意気込んでいたけど、それってただの見栄の為。
ガイドになったときに、「あなたは何回受けて合格したの?」なんて聞くゲストは一人もいない。
お医者さんに、「あなたは大学に何浪して入ったの?現役?」なんて聞く患者はいない。
だから、用意周到じゃなくたって、受かる可能性が低くたって、受けても良いじゃないか、と思えるようになった。もちろん、用意周到にするのは大事。でも、その条件が揃ってなくても挑戦したって良い。
多分、これって進路選択だけでなく、仕事でも、子育てでも、なんにでもあてはめると思うんです。
もしあなたも優等生気質があるなら、ちょっと気を抜いてみたら見える見方もあるかもしれません。
わたしはこの後、就活だけではなく、結婚でも一度失敗するし、頑張りすぎて鬱で教員も辞めちゃうし、たくさん失敗します。
だけど失敗すると、良いことあります。
「失敗するたびに、自分らしくなる。」
今はそんな風に思えています。
その後の人生も少しずつ書き連ねていきますので、よければお付き合いください。
読者さんになってもらえたらすごく嬉しいです。
読むことが義務ではないのでお気軽な気持ちでぜひ。